A210 M66 Short History

Posted by czr

A210 M66 Short History

1963年からルマン24時間を目指して設計されたM63以降、1964年にはシャシーを新設計にしたM64を製作、1965年にはゴルディーニによる新しいエンジン(タイプ58:1005cc,1296cc,1470ccの3種類が存在)を搭載し、マルセル・ユベールが高速時の安定性を増すために、ふたつの垂直フィンとスポイラーを備えたM65が誕生する。

1996年のアルピーヌは、(#1)M65の発展型で、ポルシェのギアボックスを使用したクルマを製作。A210 M66と呼ばれた。この後アルピーヌは1969年までM66でスポーツカーレースに参戦することになる。 今回紹介するA210 M66は1966年M66の4代目として製作されたシャシーナンバー1724のクルマである。

このM66は当時、アランクァン製のハイドロニューマチック・サスペンションが試されたことがある。実戦には、スパ・フランコルシャン1000kmからで、マウロ・ビアンキとジャン・ヴィナティエのドライブでエントリーし10位でフィニッシュしている。しかし、ロード・ホールディングに問題があり、金属製スプリングのサスペンションを装備したチームメイトの後塵を拝することになる。 6月にはルマン24時間に出場。ハイドロニューマチック・サスペンションが備えられてはいたが、それまでのトラブルのいくつかは解消されていた。

しかし、金属スプリング装着のチームメイトより50kg重い740kgの車重は如何ともしがたかった。エンジンは1296ccで、ドライバーはブアルドとヴァリエであった。予選は4分25秒2で43番目のポジションを獲得、レースでは11位で完走して4119.52kmを走破した。(#2)性能指数では5位、(#3)熱効率指数ではケイマン・マイルズ/デニス・ハルム組のフォードGTマーク2と3位を分け合った。 翌1967年シーズンはルマンまで、シャシーナンバー1724はレースに参加せず、ハイドロニューマチック・サスペンションの開発を断念し、金属スプリングのサスペンションに換装作業がなされた。

その年のルマン24時間では、エンジンはゴルディーニのタイプ58、1005ccユニットに換装され、車重597kgになった。ドライバーはパトリック・ドゥパイエとジェラール・ラルースで、予選は4分28秒5のタイムで、前年同様43位のポジションを得る。残念ながらレースでは17時間目に電気系統のトラブルにより18位を走行しながらもリタイアとなる。 2週間後にはエンジンを1470ccに換装し、ドゥパイエがグランザーと組んでランス12時間に出場。今度はエンジントラブルでまたしてもリタイアしてしまう。

これ以降1470ccエンジンを搭載したまま、スペインのマドリッドのレースに出場4位に入賞している。ドゥパイエのドライブで9月のニュルブルクリング500kmにも出場、10月のモンレリー1000kmにも1296ccエンジンを搭載してクラス優勝を果たしている。 1968年にもルマン24時間に出場。ドライバーはボブ・ウォレックとクリスチャン・エトインで、エンジンは1296ccを搭載していた。計測時に712kgの車重があり、エンジン以外のの大きな装備の変更は不明だが、前年に比べてかなりの重量増になってしまう。予選は4分34秒7の42位で通過、総合11位に入り、熱効率指数で3位に入った。 1969年シーズン以降のシャシーナンバー1724に関するレースの資料は残されておらず不明である。

#1 M63以降、A210の前作であるM65までは英国製のギアボックスを使用していた
#2 性能指数賞(Index of Performance)は1926年に導入され1971年まで続いた。
#3 熱効率指数賞(Index of Thermal Efficiency)は1956年から始まり1981年まで続いた。

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